2013年4月9日
4月9日 映画『ガレキとラジオ』 梅村太郎監督
震災後の宮城県南三陸町(ちょう)で撮影された1本のドキュメンタリー映画をご紹介します。
タイトルは『ガレキとラジオ』。南三陸町で 地元のために放送を続けた期間限定の災害FM「FMみなさん」と、そのスタッフを追いかけたドキュメンタリーです。
ナレーションは俳優・役所広司さん、主題歌をモンキーマジックが担当。ただ、そこに描かれているのは、「FMみなさん」のスタッフを中心とした、震災後の南三陸町で生活する、普通の住民の方々です。
監督の梅村太郎さんに、映画制作のきっかけから伺いました。
●いつかみんな忘れてしまう
実家は神戸。阪神・淡路大震災で実家が無くなってしまったが、当時は大学院生で何もできず、東京から神戸に帰ったものの、おにぎりを配るのが精一杯だった。だから東日本大震災では体が勝手に動いたというのが正直なところ。とにかく何かをしなくちゃいけない。行ってみないといけない。博報堂の中で震災復興プロジェクトが立ち上がり、そのリーダーの1人に立候補してとにかく現地へ向かった。そして、その日に映画にした方が良いと思った。みんな忘れてしまう。悲惨な光景だが、1年後、2年後に神戸と同じように忘れられてしまうだろう。でも、映画なら少しは長くみんなの興味や関心を引き続けることができる。あるいは振り返る時に使われるはず。それは広告でも報道でもなく映画なのではないかと思った。そしてある日、FMみなさんと出会い、ラジオ局だけを追いかけようと途中で決めた。
梅村監督は広告代理店・博報堂の社員・CMディレクターが本業です。普段はCMを通じて“伝える”仕事をしている梅村さんは、災害FM「FMみなさん」の“自分たちの街のために伝える”姿を見て、「かなわない」と感じたと言います。
●「伝える」と「伝わる」
ものすごく明るいラジオスタッフ。リーダーの工藤さんは元サラリーマン。トラックの運転手や塾の元講師、工場ごと流された自動車工の方、地元の新聞記者、元劇団員、高校を出たばかりの女の子たち、OLさん・・・本当にまぜこぜの9人。おっちゃんたちがすごく頑張っているが下手だった。しゃべりをトチるし、方言は丸出しで、放送事故はしょっちゅう。でも伝えたいという想いがすごく溢れていた。
自分も伝える仕事をしているが、「伝える」と「伝わる」は大きく違う。技術がある、企画がある、声がよい、そういうことではない。伝えたい想いが強いから伝わる。あの人たちにとって愛おしい街、愛おしいみんなだったから。そんな人たちの声になりたい、自分たちが声になっているんだと。漁師さんだったら海の上で演歌が聴きたいはずだから演歌を流そう、部屋で1人で過ごすおばあちゃんには前向きな曲をかけよう、寂しい部屋がピリピリしないように音楽を流そう、そういう風にみんなを愛していたんだと思う。
梅村監督は、「産業のニオイのする復興ではなく、再生・心の再生を切り取るために、小さなFM局を選んだ」といいます。FMみなさんが、街の人たちに伝えてきたこと。そして阪神・淡路大震災を経験した監督が「災害を忘れない」ために、伝えようとしていることは何か、この映画が、それを感じる機会になるのではないでしょうか。
映画『ガレキとラジオ』は、4月13日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷、横浜ニューテアトルで封切られ、4月末には埼玉、5月には大阪と、全国で順次公開される予定です。
詳しくは、『ガレキとラジオ』公式サイトをご覧下さい。
明日も、映画『ガレキとラジオ』梅村監督のインタビューをお届けします。