2013年4月6日
4月3日 京都大学防災研究所 矢守克也教授(3) 『津波てんでんこ』のもう一つの意味
今週は、京都大学防災研究所、矢守克也教授のインタビューをお届けしています。専門は防災社会心理学。神戸や東北の大震災を検証し、その経験を全国に伝える活動を展開しています。
今日は、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」の、新たな解釈をめぐるお話です。
◆「津波てんでんこ」のもう一つの意味
「津波てんでんこ」は世の中に広く伝わっている意味としては、「てんでんこ」は「てんでんばらばら」という意味だから、大きな津波の危険が予想されるときは、とにかく一人一人がほかの人のことは構わずに高いところを目指すべし、という意味。そこで、わたしが大事だと思うのは、ちょっと心理学っぽい話になるが、いまから言う2つの話を聞き比べてほしい。
例えば、家族がいて、ちっちゃな女の子がいて、近くにおばあちゃんが住んでいたとする。おばあちゃんは残念ながら津波にのまれてお亡くなりになったとする。そのとき、女の子は「自分がおばあちゃんを助けに行くべきだったんじゃないか」とか「おばあちゃんは自分を助けに来ようとして津波にのまれたんじゃないか」と、自分を責める気持ちを持つ可能性が十分にある。その証拠に、いまでも大きな災害の遺族は、多かれ少なかれ、そういう気持ちを持っていると思う。
一方、おばあちゃんと女の子の間に、「津波てんでんこ」という言葉を巡って、こんな会話が交わされていたらどうだろうか。おばあちゃんは孫に四六時中、「津波のときはてんでんこだよ。わたしもてんでんこに逃げるし、お前もてんでんこしなきゃいけないよ、絶対そうするんだよ」と、ずっとずっと言われ続けていた女の子は、きっとさっきのように思うんではなくて、おばあちゃんは本当に死んでしまって残念だけど、でもてんでんこと言っていた。きっとおばあちゃんもてんでんこしたに違いないし、わたしがてんでんこで逃げたことをおばあちゃんは恨んだりしないだろうと思うだろう。
◆生き残った人間が前向きに生きていくための知恵
そう思えるからといって、お孫さんの悲しみが全部消えるわけでは全然ないが、自分を責めるよりも、プラスの働きをするのは明らかだと、僕は思う。
つまり「津波てんでんこ」は、「逃げるときのルール」というだけでなく、生き残った人が立ち直り、前向きに生きていくための知恵であり、だから三陸地方でこれだけ伝わってきたんじゃないかと思う。
矢守研究室
今日は、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」の、新たな解釈をめぐるお話です。
◆「津波てんでんこ」のもう一つの意味
「津波てんでんこ」は世の中に広く伝わっている意味としては、「てんでんこ」は「てんでんばらばら」という意味だから、大きな津波の危険が予想されるときは、とにかく一人一人がほかの人のことは構わずに高いところを目指すべし、という意味。そこで、わたしが大事だと思うのは、ちょっと心理学っぽい話になるが、いまから言う2つの話を聞き比べてほしい。
例えば、家族がいて、ちっちゃな女の子がいて、近くにおばあちゃんが住んでいたとする。おばあちゃんは残念ながら津波にのまれてお亡くなりになったとする。そのとき、女の子は「自分がおばあちゃんを助けに行くべきだったんじゃないか」とか「おばあちゃんは自分を助けに来ようとして津波にのまれたんじゃないか」と、自分を責める気持ちを持つ可能性が十分にある。その証拠に、いまでも大きな災害の遺族は、多かれ少なかれ、そういう気持ちを持っていると思う。
一方、おばあちゃんと女の子の間に、「津波てんでんこ」という言葉を巡って、こんな会話が交わされていたらどうだろうか。おばあちゃんは孫に四六時中、「津波のときはてんでんこだよ。わたしもてんでんこに逃げるし、お前もてんでんこしなきゃいけないよ、絶対そうするんだよ」と、ずっとずっと言われ続けていた女の子は、きっとさっきのように思うんではなくて、おばあちゃんは本当に死んでしまって残念だけど、でもてんでんこと言っていた。きっとおばあちゃんもてんでんこしたに違いないし、わたしがてんでんこで逃げたことをおばあちゃんは恨んだりしないだろうと思うだろう。
◆生き残った人間が前向きに生きていくための知恵
そう思えるからといって、お孫さんの悲しみが全部消えるわけでは全然ないが、自分を責めるよりも、プラスの働きをするのは明らかだと、僕は思う。
つまり「津波てんでんこ」は、「逃げるときのルール」というだけでなく、生き残った人が立ち直り、前向きに生きていくための知恵であり、だから三陸地方でこれだけ伝わってきたんじゃないかと思う。
矢守研究室