2013年2月15日

2月15日 福島・浪江町 橘さん家族の今(5)

東日本大震災から3年目を迎える、福島の家族の今。
今週は、双葉郡・浪江町を離れ、郡山市で避難生活を続ける橘弦一郎さんと一家に焦点を当てています。

橘さん夫妻は、福島第一原発事故を受け一時 滋賀県に避難。しかし夫・弦一郎さんは復興のため福島県に戻ることを決意し、奥さんの綾子さんも弦一郎さんについていく選択をしました。

震災直後の混乱と不安の中、お2人は郡山市の借り上げ住宅で生活をはじめ、そして2011年9月、妻・綾子さんの妊娠が判明します。

◆無事に生まれることだけを祈って
結婚して5年目にしてようやく授かった命。心から嬉しいという気持ちはあったが、なにせそういう状況、体が被ばくしている「であろう」体に授かった命は大丈夫なのかという不安に常に襲われ手放しで喜べない状況だった。無事に生まれてきてくれるんだろうか、五体満足で生まれてきてくれるんだろうか。いま避難生活だけど大丈夫なのか。でも命を消すことは頭の中にはなく、無事に生まれてくることだけを願うことしか出来なかった。なんとか健康な子が生まれ来るといいねという話し合いはもった。この時に生まれてきてくれたのは、何らかの意味があるんだろうなと思って愛おしく思っています。大変な妊娠生活でしたけど。


こうして無事出産を果たした綾子さん。今回の電話取材も9ヶ月のお子さんを膝の上で寝かしつけながら、応じてくれました。

ただ、復興のために飛び回る夫・弦一郎さんは、毎日帰宅が遅く、綾子さんは日常のほとんどを、お子さんと二人きりで過ごしています。

◆子どもと2人きりの日々
日中は家事をしながら息子と遊んで一日が終わる。10時に夫が帰ってくるのでご飯の支度をする。その繰り返し。通勤がなければ息子といられる時間も長く持てるのだが。夫が帰ってくる頃にはもうウトウト寝ている。私も話し相手が息子しかいないし、答えも返ってこないので一方的に話しかけているような状態。辛いです。いくら可愛くても本当にやんちゃ盛りで目が話せない状況なので、もし友達がいれば子育ての相談が出来るがそういうお友だちもいない。解決策が見いだせないままイライラして「そういうことしないで!」と怒ってしまうこともある。優しくなくてゴメンねと思いながら、息子と過ごしている。


双葉郡浪江町を離れ、避難生活を続ける、橘弦一郎さん・綾子さん夫妻に焦点を当ててお送りしてきました。

お子さんと2人きりの日常。そのストレスを感じているという綾子さんですが、夫・弦一郎さんが、唯一の休日である水曜日を利用して「子どもにつききりで面倒を見てくれて、私に自由な時間を作ってくれるのが、唯一の救い」とも話しています。

また、綾子さんはもう一つの切実な悩みがあると話しています。綾子さんの父親が入院され、その看病をするため、お子さんを預ける保育所を探しているんだそうです。 ただ、満1才に満たないお子さんを預かる保育所は少なく、この取材をした先週の時点では、保育所はまだ決まっていませんでした。

本当の自宅に帰ることが出来ず、こうした生活を送る家族は今も大勢います。浪江町から県外・県内に避難している人の数は今年1月現在で、2万1170人となっています。

『LOVE&HOPE』。来週月曜日は、福島県の 20代の女性たちがそれぞれの生き方を考えるための集まり、ピーチハートの活動をお伝えします。

2013年2月14日

2月14日 福島・浪江町 橘さん家族の今(4)

東日本大震災から3年目を迎える、福島の家族の今をお伝えしています。

郡山市で避難生活を続ける橘弦一郎一家。原発事故直後、夫の弦一郎さんは、奥さんの綾子さんとともに浪江町を離れ、滋賀県の親族の元に避難したのですが、すぐに福島県に戻ることを決意。
地元の不動産会社に勤める弦一郎さんは、避難住民の住まいをサポートするため、福島に戻ることを決めたと話しています。

そして、奥さんの綾子さんも弦一郎さんとともに、福島に戻ることを選択。3人は、震災後に生まれた9ヶ月のお子さんと郡山市で生活を送っています。福島に戻った当時のことを、綾子さんはこう振り返ります。

◆不安の中の決意
最初に浪江から避難する時点で被ばくをしていたと思う。原発は4月中旬になっても落ち着かず、どうすれば解決できるのかを模索している状況。まだまだ放射能も飛んでいた。特に郡山は数値が高いと報道されており、子どももいない私の体はどうなっちゃうのか、郡山にいて、また何かが起こったら逃げられるのか、色んな不安が襲った。かといって滋賀県に残るという選択肢は持てなかった。緊急自体の中、夫は私を助けてくれたし、色んな決断をして支えてくれた。恩返しをするなら今しかないかなと思って一緒に(福島に)戻ろうと決めた。でも何も物がなくて、持ち込んだのは長座布団3枚、コタツ布団1枚くらいだった。テレビも冷蔵庫もなく2人で震えながら寝た。当時、物資の流通が戻っていなかったので郡山のお店には物が不足していた。どうやって生活しよう、自分で戻ると決めてとりあえず来たはいいが大丈夫なのか。毎日そんなことを思いながらちょっとずつ生活用品を揃えていった。とりあえず「生きなきゃ」と。


そして夫・弦一郎さんは、避難住民のために毎日往復5時間かけて、南相馬まで通勤する生活を始めます。震災直後の混乱の日々を、弦一郎さんは、「死にたいと思ったこともある」と振り返っていますが、同じ頃、綾子さんは何を想っていたのでしょうか。

◆夫の苦悩
結局、(不動産会社の)スタッフは避難生活となり、みんな退社してしまった。そのため夫が一人で1日100件の借り上げ住宅などの問い合わせに対応していて精神的なストレスがあったと思う。体一つで100件。その大変さから精神的なストレスで表情が消えていき、今まであんなにニコニコしていた人が表情がまるで無くなった。帰ってくればため息しか帰ってこない。私の知っている夫じゃないと思った。そうとうやられていると思った。特に何をしているわけじゃなかったので、私も一緒に南相馬に行こうかと提案した。せめて事務所の掃除でもしようかと。何が出来るわけではないが、ちょっとでも気分がほぐれればいいなと思って、話し相手をしていた。



明日は、9才のお子さんと避難生活を続ける“母親”として、橘綾子さんの今の心境をお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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