2013年1月28日
1月28日 宮城県気仙沼市唐桑の「からくわ丸」〜“よそもの、わかもの、ばかもの”の被災地支援〜(1)
東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた、宮城県気仙沼市唐桑町。この地区で、「からくわ丸」という若者サークルが被災地支援の活動を続けています。地域の外から来たボランティアと地元の人が一緒になって、唐桑地区の「街づくり」に取り組むこのプロジェクト。活動の中心となっているのは、「からくわ丸」の代表、加藤拓馬さん、24歳です。
大学卒業と東日本大震災の発災が同時期に重なった加藤さんは、就職を一時延期して被災地でボランティア活動に携わります。けれども、滞在が長期化する中で見えてきたのは、破壊されていく「人の絆」でした。
◆震災は「人と人の絆を壊していく」
滞在が長期化したときに見えてきたのは、どんどん片付いて向上いくハード面と、震災から時間が経てばたつほど住民の心が冷え込んでいく姿。これはなにか、ソフト面の活動に移行したほうがいいんじゃないかと思ったのが、そもそものきっかけ。
目に見えてコミュニティにひびが入っていく。「唐桑にはいたくない。早く出たい」「仙台に行ったほうが復興が早いんじゃないか」など。避難所で済む人、仮設の人、在宅の人の間でも意思疎通ができない状態。長期で滞在していると、そういった本音が見えてくる。生き残った人間にとって一番怖いのは、震災が「人と人との絆をぶちぶち破壊していく」ということ。
自分も阪神大震災をきっかけに、友達が神戸に住めないとばらばらになったり、家族も一時期ばらばらの状態で過ごすことになった。今まで通りの生活ができなくなると、いままで通りの人間関係がキープできなくなる。これはなんとかしないといけないなと、だんだん「街づくり」とか「コミュニティ支援」に興味を持ち始めたのが、自分にとっての2011年。そのためにはなにが必要なのかといえば、一方的な外部からの支援ではなく、地元の人間と「共同」で活動していけるかがキーワードになると考えた。そこで、地元の人と一緒に「街づくり」をしていく、という話になった。
「からくわ丸」のメンバーは24歳の加藤さんをはじめ、大学生など20代前半の若い人ばかり。地域の外からきた若者たちの働きかけによって、いま地元唐桑の人たちも動き出しています。活動の中心は地域の魅力を再発見する「街あるきプロジェクト」。明日以降具体的にご紹介していきます!
「からくわ丸」サイト
大学卒業と東日本大震災の発災が同時期に重なった加藤さんは、就職を一時延期して被災地でボランティア活動に携わります。けれども、滞在が長期化する中で見えてきたのは、破壊されていく「人の絆」でした。
◆震災は「人と人の絆を壊していく」
滞在が長期化したときに見えてきたのは、どんどん片付いて向上いくハード面と、震災から時間が経てばたつほど住民の心が冷え込んでいく姿。これはなにか、ソフト面の活動に移行したほうがいいんじゃないかと思ったのが、そもそものきっかけ。
目に見えてコミュニティにひびが入っていく。「唐桑にはいたくない。早く出たい」「仙台に行ったほうが復興が早いんじゃないか」など。避難所で済む人、仮設の人、在宅の人の間でも意思疎通ができない状態。長期で滞在していると、そういった本音が見えてくる。生き残った人間にとって一番怖いのは、震災が「人と人との絆をぶちぶち破壊していく」ということ。
自分も阪神大震災をきっかけに、友達が神戸に住めないとばらばらになったり、家族も一時期ばらばらの状態で過ごすことになった。今まで通りの生活ができなくなると、いままで通りの人間関係がキープできなくなる。これはなんとかしないといけないなと、だんだん「街づくり」とか「コミュニティ支援」に興味を持ち始めたのが、自分にとっての2011年。そのためにはなにが必要なのかといえば、一方的な外部からの支援ではなく、地元の人間と「共同」で活動していけるかがキーワードになると考えた。そこで、地元の人と一緒に「街づくり」をしていく、という話になった。
「からくわ丸」のメンバーは24歳の加藤さんをはじめ、大学生など20代前半の若い人ばかり。地域の外からきた若者たちの働きかけによって、いま地元唐桑の人たちも動き出しています。活動の中心は地域の魅力を再発見する「街あるきプロジェクト」。明日以降具体的にご紹介していきます!
「からくわ丸」サイト