2013年1月2日

1月2日 宮城県塩釜市 浦戸諸島桂島(2) コミュニティが命を救った


今朝も宮城県塩釜市 浦戸諸島・桂島からのレポートです。

松島湾、浦戸諸島の4つの島の一つ、桂島。
人口数百人のこの小さな島は、東日本大震災で10m津波が押し寄せ、
住宅およそ120軒のうち、70軒が損壊。
しかし、島のおよそ200名の住民は全員が無事でした。

200人の命を救ったもの。それは、島に根付くコミュニティと、消防団員たちの判断がありました。桂島の消防団員で海苔漁師・内海信吉さんは当時をこう振り返っています。

◆命を救った“島の繋がり”
この地域の島は、二百数十人しかいない小さなコミュニティ。だから誰がどこにいるのかは連絡取ればすぐにわかる。私も消防団の一員なので、大津波警報が発令された時点で、海に出ている人を呼び戻した。家で待機している人は避難所に戻すということを決めて、無理やり避難所に運んだ。「チリ津波の時はここまで来なかったんだから大丈夫だ」と思っている人もたくさんいたと思うが、ちょっと違うのではないかと思い、若い連中に、叱られるのは一回だがもし大きな津波だったら一生悔いが残ると伝え、無理やり軽トラックに載せて、無理やり運べと指示した。結果、それが正解だった。家は半分無くなったが、亡くなった人はいなかった。「助かった」とみんなおっしゃった。実際には私ではなくて若い連中が運んでくれたのだが。誰がどこにいるのか、小さなコミュニティがしっかりしていたから分かった。当然、海にいた人もいた。牡蠣や海苔の作業をしている人もいたが、誰がどこにいるのかが皆がそれぞれ把握して連絡が取れた。それでみんな戻った。携帯も偶然通じた。防災無線は地震の時点で全てダメになってしまった。たまたま私の携帯が通じたので、避難勧告して逃げようと言った。


2013年1月1日

1月1日 宮城県塩釜市 浦戸諸島の漁業の現状

東日本大震災以降、2度目の新年を迎えました。
番組はこれからも継続して復興途上の被災地の今をお伝えしていきます。


今年最初にクローズアップするのは、
宮城県塩釜市、浦戸諸島に浮かぶ桂島の漁業の現状です。
松島湾の内側に浮かぶ4つの島、浦戸諸島は、「浦戸の牡蠣」をはじめ、ワカメや海苔の名産地です。浦戸諸島の漁師たちは、様々な支援を受け 震災後の早い段階で漁を再開したのですが、この冬、牡蠣漁は別の理由で厳しい状況を迎えています。浦戸諸島・桂島の牡蠣漁師、内海信吉さんに松島湾の船上で伺いました。

◆猛暑の影響
あれもこれも、ウチのいかだ。全部で8台。(今年の牡蠣漁について) 個人差はあるが牡蠣が全滅した方もいらっしゃいます。私の場合は8割くらいが死滅。2割の水揚げができるかどうか。本来は最盛期で忙しい時期だけど供給が出来ない状況。夏場の天気が良すぎて海水温が高かったのが原因。牡蠣が抱卵する夏場に体力を使い切ってしまった。雨も少なかったため、山から里、海へと流れ込む栄養分が回らず、汽水域のプランクトン発生率が下がってしまった。津波の被害を受けた昨年度はみなさんの支援で再生、復旧ができたが、今年はその半分の水揚げにもならない。


震災直後の牡蠣シーズンは、例年の半分まで水揚げが復活しましたが、この冬は去年の半分程度の水揚げに留まるようです。それでも、内海さんは前向きさを失っていません。実は、震災の数か月後に養殖を再開した桂島の牡蠣漁師さんたちは、一人も漁を辞めずに済んでいます。

◆それでも恵まれている
我々のところ(浦戸諸島)は、牡蠣の処理場が助かったので、津波の後もすぐ再生できた。しかし、未だに生産できない仲間がたくさんいる。宮城県内でも。そういう意味では私たちは恵まれている方。津波は南側から来るのだが、桂島は北側に港があるため作業する港が助かった。資材があればなんとかなるということでみんなで頑張って復旧した。牡蠣養殖業だけでなく、海苔業者もそう。海の再生を思っている。


浦戸諸島の早期の漁業再生は、『うらと海の子再生プロジェクト』という取り組みによるものなのですが、これについては、改めてお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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