2012年12月31日

12月31日 特別番組『LOVE&HOPE 〜support our kids special』後編


松島の南、海に突き出した小さな町、宮城県七ヶ浜町。高校1年生・中村あかりさんは、この町で暮らしています。

父親の勝義さんは自衛官。震災後は、被災地で支援活動に従事していました。母親の晴美さんは、ヨガのインストラクター。そしてその子どもが、長女・明日香さん、長男・元(はじめ)くん、末っ子のあかりさんの三人きょうだい。

中村家は、自宅そのものの被害は免れたのですが、長女・明日香さんは外出先で津波に遭い、帰らぬ人に。お母さんの晴美さんは、明日香さんについて、こんな想い出を話してくれました。

◆明日香さんと、あかりさん
明日香はお菓子を作るのが好きで、パティシエが夢だった。バレンタインには、あかりと2人でお菓子作りをしていたのを覚えている。すごくいい匂いで、その姿を見て幸せだった。明日香はガトーショコラを彼にプレゼントして、カップのチョコを私たちにプレゼントしてくれた。仲の良い姉妹だと思っていた。あかりは表面に出さない子。涙ぐんでいたのもお葬式の時と安置所に通う時だけだったけど、今にして思うと本当は辛かったのだろうと思う。


母親・晴美さんは、あかりさんが震災後、すごく甘えるようになってきたと話しています。

◆あかりさんの変化
あかりはすごくベタベタしてくる。もともと甘える子だったが、私の上に乗っかってきたりマッサージしてとねだって来たり。そういうのは全部受け入れてあげようと思った。時折、すごくネガティブな言葉をぶつけてくることもある。「死にたい」とか「お姉じゃなくて私が死ねばよかった」とか。それは流して聴いてあげるのが役割だと思っている。あかりは幼稚園の頃から頑張りすぎるし、気を張りすぎる子だった。これは明日香の反面教師でもある。明日香は高校を中退し、親にも強く反発する時期があった。それを見てあかりは育ってきたし、その後、姉が優しくなったのも見ている。明日香が辛い時期をのり越えて「ありがとう」を言えるようになった。「ありがとう」が言えない子だった。大人になり、今までの分を取り戻すように「ありがとう」を何度も私にいった。そんな矢先に震災が起きた。


晴美さんは、「あかりは明日香のぶんも私に甘えていたのかも知れない」と感じています。

亡くなった明日香さんは当時、思い悩む時期を乗り越えて、ようやく自分の夢を叶えるため、2011年の春に上京する予定でした。すでに父親・勝義さんと2人で独り暮らしをする部屋の下見を済ませたばかりだったそうです。

そして、震災の翌年。思いがけないものが、中村家に届きます。

◆5年後に届いた手紙
晴海さん「この手紙は、明日香が中学3年生のときに先生が生徒たちに書かせた手紙。明日香が成人する時に投函する予定だったが、先生もためらったようで、手紙とともに同封してくれた。」
父・勝義さん「遅ればせながら夢を実現しようとしていた。もし、地震が起きるのがあと1週間遅れていたら、明日香は東京の国立から専門学校に通っていた。本当に1週間の差…」


『5年後の私へ』と題されたこの手紙は、15歳の明日香さんが、当時の悩みやパティシエになるという将来の夢を、20歳の自分に託すメッセージが綴られていました。

長女を失ったこと。いま中村家はそれぞれの受け止め方で、喪失と向き合おうとしています。

◆明日香さんが残したもの
あかりさん「最初は信じられなかった。死んだ姉をみても、本当に姉なのかと思った。でも何日か経って、姉がいない、声が聞こえないことを考え実感した。姉はいないと私は吹っ切って、だからお墓にもいかない。いなくなって家族の大切さを感じられた。姉は料理に興味がありお菓子作りが好きだったけど、上京する1週間前に震災があって、それができなかった。だからやり残すのはいや。そう思って(音楽関係の学校で)やりたかった音楽を始めた。将来はっきりつかめていないが、来年からはボーカルを頑張りたい。今年はこれを頑張るぞという感じで思っている。」

晴美さん「お別れしてしまったが、いまは受け入れられる。我が家の先生のような存在が明日香。いなくても今も色んなことを子どもたちにも伝えてくれている気がする。」


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七ヶ浜の中村あかりさんは、音楽関係の学校でギターの勉強をしていますが、来年の春からは、ボーカルの勉強もしたいと話しています。やりたいことを“やり残さない”ために。

そして蔵王町の中津留裕人くんは、来年春には大学生として生まれて初めての独り暮らしへ。ご両親はちょっとさびしそうでしたが、末っ子の成長を本当に嬉しそうに語っていました。

2013年の春、震災3年目を迎える被災地で、
2人の高校生は、また一歩、大人に近づいていきます。


※『サポートアワーキッズ』は、来年度も、被災地の子どもたちを海外語学留学に送り出す予定です。詳しい情報は、サポートアワーキッズのウェブサイトをご覧ください。

2012年12月31日

12月31日 特別番組『LOVE&HOPE 〜support our kids special』前編



特別番組『LOVE&HOPE 〜support our kids special』 前半

震災から1年9か月。被災者は今も、親しい人を失った現実や環境の変化と懸命に向き合いながら、日々を送っています。この特別番組は、被災地の2組の家族をみつめ、2人の高校生が成長していく姿と、支えあう家族の想いをお伝えします。

LOVE&HOPEでは、東日本大震災で被災した子どもたちに語学留学を体験してもらう「サポートアワーキッズ」を去年から取材しています。2回目となる2012年は、ロンドンとニュージーランドの2か国で実施。番組は取材を通じて参加者2人と出会いました。津波でお姉さんを亡くした宮城県七ヶ浜中村あかりさん(高1)、そして震災と津波の被害で、宮城県岩沼市から、蔵王町への移転を余儀なくされた、中津留裕人くん(高3)です。

今年8月、2人を含む10人のロンドン留学メンバーは、事前研修を受けるため東京に集まりました。

◆8月、ロンドン前夜の中村あかりさん
「初めて行く国なので不安と期待が半々。でも最終的には興奮の方が上回りそう! 色々と辛いことがあって、自分ばかりなぜこうなんだろうと思ったけど、去年のサポートアワーキッズに参加した兄が、それをきっかけにやりたいことを見つけて大学に入学、キラキラしているのを見て、私も参加しようと思った」

◆8月、ロンドン前夜の中津留裕人くん
「宮城県岩沼市の海沿いで両親が経営する養豚場が、津波の被害を受け全財産を一失い失業した。半年後に両親は蔵王の保養施設の職を見つけ、引っ越すことになった。給料も安く余裕もなくなり、今まで欲しいものを買ってもらえていた環境もガラリと変わってしまった。来年の大学進学は親に迷惑をかけないよう国公立に進学したいが、頭の良さも足りなくて…。でも塾に行くお金もなく親にも相談できない。自分の思うようにできない生活で、我慢をすることで大人になり、成長するのかなと思っている」


ロンドンではそれぞれ、ホストファミリーの元で生活をしながら現地の学校で学び、地下鉄などリアルなロンドン生活を体験。また、五輪開催期間中ということで、男子レスリング金メダリスト・米満達弘選手の試合を観戦する機会にも恵まれました。

帰国した2人は、本当に輝くような笑顔で2週間の経験で感じたことを語ってくれました。

★2週間後 ロンドンより帰国の2人
中村あかりさん「楽しかったです! 積極的に会話をしたかったんだけど、なかなか伝えられなかった。日本に帰って猛勉強して、また他の国でリベンジしたいという気持ちが強くなった。英語でしゃべれるようになりたい。リベンジです!」

中津留裕人「ただいま! この経験は自分の人生を変えるものだと感じた。性格も自分で分かるくらい変わった。自分から積極的に動けないタイプだったんだけど、イギリスでは自分から自己アピールできた。留学がしたい。家庭にお金はないから厳しいかも知れないけど、何歳になっても遅くない。絶対に海外に行ってたくさん学びたい。(両親にどんな報告がしたい?) 恥ずかしがり屋がなくなったよって言いたい(笑)」


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そして4ヵ月後、番組は2人が生活する宮城県へ。裕人くんのご両親は、蔵王町のスキー場にほど近い別荘地「蔵王休養村」で住み込みの管理という職に就き、新たな生活を送っています。

◆一瞬にして生活が一変
父親・和明さん「岩沼市の海岸沿いで養豚場を経営。住まいはそのとなりの亘理町。自宅の被害はなかったが、養豚場は建物も1500頭の豚も全滅。学生の頃から畜産一筋でやってきたが、一瞬にして生活が一変した。まるで夢を見ているような感覚があって、現実を受け止めるのに時間がかかった。末っ子の裕人はまだ高校生なので、すぐにでも生活のことを考えなければならず、養豚場を諦める判断をした。今は住み込みで別荘地の管理をしている。裕人は無口なのであまり詳しくは話さないが、彼は彼なりに色々感じているんだと思う」

母・弘美さん「豚の仕事はもうできないから、お父さんは新しい仕事を父親は探して、良い仕事があったのだから家族でそこに移転しよう…と裕人に話した。裕人はうなづいていたが、我慢しているんだなと感じた」


父親の和明さんは、養豚場を再建するには数億円のお金がかかり、融資を受けようにも返済計画を立てられる状況ではなかったと話しています。裕人くんの進学に大きくかかわる切実なお金の問題。両親は、新聞記事で偶然見つけたサポートアワーキッズの募集要項を勧め、裕人くんにこうアドバイスしたと言います。

◆夢がなくなったわけじゃない
弘美さん「裕人は海外進学を目指していたが、生活が変わり無理かなと思った。今年の夏に、国内の大学進学に切り替えようか? と話した。私立は経済的に厳しいから国公立でがんばってね〜(笑)と。すると猛勉強を始めた。予備校もいかせられない中、本当に親が見ても頑張ったと思う。

和明さん「夢がなくなったわけじゃないんだから、色んな方法を考えて違う方向を探って、色んな人とかかわって欲しいと思っていた。一番良かったのはイギリス語学留学の経験。自分の海外への夢がはっきりしたようだ。またイギリスに行きたいと言っているし、その夢があれば、ストレートに海外進学が出来なくても、いつか必ず行けると思っている。私たちも応援している。

弘美さん「これくらいのことで海外への夢を諦めるなら、この先どんな夢も叶えられない」と言った。大人になったら必ず壁が出てくる。それをどう乗り越えるか。その時の為にすごい体験になったと思う。


両親が感じた、裕人くんの変化。「人見知りが治ったよ」と話す裕人くんは、ロンドンで何を見つけたのでしょうか。

◆遠回りしても、つまずいても。
裕人「ホームステイ先のホストファーザーが、あまり僕を気にかけてくれない人だったので、積極的に話しかけたら、笑顔で返してくれて嬉しかった。今までは自分から積極的に話しかけられないタイプだったけど、この経験が自信になった。カナダに留学するのが夢だったけど、経済的理由で、親にだめだと言われてしまった。悔しさもあって、その代わりにサポートアワーキッズに応募した。参加して、遠回りしても自分の夢を叶えることが大事だと学んだ。イギリスに行く前は何かにつまずいたらそこで諦めていた。これを乗り越えて滞在できたことが、意識しないうちにためになっているんだと思う。」


そして裕人くんは、来年春、夢に向けて大きな一歩を踏み出します。
実は、12月に宮城大学の合格発表があり、見事、事業計画学科に合格!
来年4月からは、観光学というカリキュラムで、ホテルやレストランの経営を学ぶことになります。

◆いつか、両親を自分のホテルへ
裕人「宮城大を卒業したら、海外の大学へ留学してホテルやレストランの勉強をしたい。英語力も高めて、卒業後は国内の有名ホテルに就職して、海外のホテルへ派遣されて、最終的には自分で立ち上げたホテルやレストランに親を呼んで、素敵な時間を過ごしてほしい。最近すごく考える。でも親には恥ずかしくて言えない(笑) 末っ子で、最後まで迷惑をかける子どもなので、その分の恩返し、親孝行がしたい。」



(※後編へ続きます)
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パーソナリティ 鈴村健一

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