2012年9月11日

9月11日「震災から1年半。南三陸の幼稚園(2)」

宮城県南三陸町のあさひ幼稚園は昨年3月の津波で建物を失い、公民館を間借りして臨時保育を行なっていましたが、日本ユニセフなどの支援で新しい園舎が完成。
震災から1年5ヶ月。夏休みを終えた子どもたちは、公民館ではなく、新しい幼稚園でお友だちと再開することが出来ました。


この新しい園舎は、あさひ幼稚園の園長・小島孝尋さんが住職を務める大雄寺の参道で、津波をかぶってしまった杉の木が使われています。
お寺を守ってきた杉の木に托された新たな役割。
小島さんはどんな想いを込めたのでしょうか。


◆杉の木を生きた教材として活用
 塩害で枯れた杉を120本ほど持っていってもらった。樹齢350年ほどと言われている。年輪を釘で推しながら数えたが、目が細かくて途中で嫌になって止めた。それでも200年は経っている。太い木は350年は経っていると思う。
 近辺には加工するところが無かったので、石川県で加工して持ってくるという行ったり来たりをした。向こうの人(石川の人)も「腐りもない立派な木だ」と言っていた。全部きちんと使って頂いた。記録と記憶に残る建物を造って頂いて感謝している。
 子どもたちに“津波にあって死んじゃった木”を使ったことで、「君たちを守る園舎が出来た」こと、「こんな大きい木も津波にやられてしまう」ことを生きた教材として使えるのがありがたい。
 子どもたちはとにかく自分たちの幼稚園が戻ってきたのが嬉しいみたい。走り回って自由に遊べるのが嬉しいようだ。前の幼稚園も地元の木をふんだんに使っていた。小中学校はコンクリの建物。
 小さい頃に木に触れて、傷をつければ残り、ぶつかっても痛くない木の感触を感じてもらえれば。仮設に住んでいる子どもたちに、広々とした木の建物で、木という存在の温かさを思い出と共に持って行ってもらえれば一番良いと思う。






2012年9月10日

9月10日「震災から1年半。南三陸の幼稚園(1)」

宮城県南三陸町志津川地区で唯一の幼稚園・あさひ幼稚園は昨年3月の津波で、建物を全て流されてしまいました。
幸い園児たちは全員無事だったのですが、今年7月まで公民館や別の小学校を間借りする形で、幼稚園生活が続いていました。
あさひ幼稚園園長で、地元のお寺「大雄寺」の住職・小島孝尋さんに、震災直後を振り返って頂きました。

◆津波が来た時間
 もう子どもたちは帰っている時間。居残りの子どもは8人。幼稚園に残っていた子どもたちは毎年訓練しているので、いつもの通り、職員と一緒に裏の高校の高台に逃げた。
 高台から津波が来るのを見ていた。幼稚園はきれいさっぱり流された。茶色い土埃が上がって、「はて何の煙だべ」と思っているうちに、ああ津波なんだとわかった。ただあっけに取られて見ていた。


◆津波を目の当たりにした子どもたち
 小中学校の先生たちは子どもたちに「津波を見ちゃだめ」と言ったようだが、幼稚園の子たちは帰った後だから津波を目の当たりにしたかもしれない。
 子どもたちは遊びの中で、“津波ごっこ”をしていた。子どもなりに自分の気持ちを整理するための遊びなので、あえてそれを止めたりしなかった。衝撃が残っていたのだろう。今は無くなったがしばらく続いた。ジャングルジムに登って避難ごっこをしたり、そういう様子があった。そういう風な遊びを通して、自分の中で整理をつけていたのかもしれない。


◆昨年末、新しい園舎を建てる話が持ち上がった
 園舎が完全に無くなったので再建の話が出たが、使えそうな場所は全て避難所。
 その後父兄を介してユニセフの支援の話がスタート。寺の塩害杉で園舎を作ろうという話になった。



津波の塩害を受けたお寺の杉を活用し、今年の7月末、園舎は完成しました。
その様子は明日お届けします。



<写真:あさひ幼稚園・小島孝尋園長>



<写真:大雄寺>
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パーソナリティ 鈴村健一

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