2012年6月1日

6月1日「気仙沼大島の観光」

宮城県・気仙沼大島で行なわれた「気仙沼大島ランフェスタ」。
会場には、島の特産品を販売するブースも並びました。

気仙沼大島では、もう一つの産業の柱「観光業」も震災の影響で大きく冷え込んでいるのが現状です。

大島で民宿「黒潮」を営む、堺健さんにお話を伺いました。


◆震災以降、観光客はいない
 (震災当日は)気仙沼市内に仕事に行ってたので、それから4日間ほど避難所にいて、5日目で大島に帰ってきた。
 気仙沼から大島を眺めると、湾内が火事で真っ赤になっていたし、大島のほうにも飛び火しているのがはっきりとわかったので、とても心配した。大島でも行方不明を含め31名の方が亡くなった。大災害だったと思う。
 現在、インフラがまだ直っていない。港が沈下し、海水浴場も砂浜が半分ほど海の方にずれこんだ。直すのは大変だし、街灯や案内所が無いなど、なかなか観光のお客様がいらっしゃらないのが現状。
 昨年はボランティアの方やお仕事の方が泊まられるということで、観光客はゼロ。


震災による火災の影響で、島のシンボル「亀山」のリフトが停止。
震災前には50件ほどあった島内の宿泊施設は、いまでは20件弱まで減少しています。


◆大島の観光
 ここは三陸沖を控えて、沿岸漁業が大変盛んなところ。
 カキ、ホタテ、わかめ、昆布、ホヤとか、秋だとサンマとか戻りガツオ。マグロ漁は通年ある。
 また大島は「緑の真珠」と言われるほど年中 緑が目立ち、さわやかな風が吹く。きれいな海岸線を見たり、特に亀山の展望台からの眺めは「松島以上だね!」と言ってくださる方も多い。景観と食を求めていらっしゃるお客様が多かった。
 今は、やっとわかめの養殖が例年の7割程度の生産に回復したが、カキやホタテの養殖は今年の秋、または来年の春ごろ。食材が十分揃っているというわけではないが、震災前の8割くらいの食材は手に入るので、観光の方が来られてもおいしいものは召し上がっていただけると思う。
 せっかく遠くからボランティアで来られても、気仙沼や大島がどんな島かまったくわからないで帰るのはおかしいと思うので、ボランティアの方にも亀山の展望台や竜前崎などを無料で案内している。
 ボランティアの仕事が半分、あとの半分は大島を知ってもらう、大島の人と接してもらうと、もっと大島のことを理解してもらえると思う。



大島は、三陸のリアス式海岸を海側から一望できる「亀山」、
足を踏み入れると「クックッ」と音がする「十八鳴浜」、
そして、島の最南端に位置する岬「龍前崎」など、観光資源が豊富な島です。





2012年5月31日

5月31日「気仙沼大島・『食事処・はま家』の再開」

宮城県気仙沼大島は、海と山が拡がる周囲22kmの島です。
島民は約3000人。


東日本大震災では、太平洋側からの津波と本州からの引き波によって、島を東西両面から津波が襲い、30人以上の島民が犠牲になりました。

フェリーの接岸港「浦の浜」にあり、長年、観光客や島民に愛されてきた「食事処・はま家」にも津波が押し寄せました。

「はま家」を営む菊田公子さんにお話を伺いました。

◆津波と火事に襲われたあの日
 浦の浜の船着き場の前、リフト乗り場の前の食堂だった。
 店が流されていって、2階の部分だけ残った。その時は車で逃げた。うちのお父さんは2階から毛布を出したり缶詰を持ったりして、私より後から車で走ってきた。
 お寺について上から見ていたら、お父さんの車の前からや後ろから水が来て、お父さんは車を寄せて走って逃げた。
 お父さんが助かったので、家が流れていくのに涙も出なかった。うちだけでなく、皆流されていった。
 気仙沼湾が海火事になった。それが瓦礫伝いに海側から山に移って、寺に下がってきた。私たちも池から水をバケツリレーした。流された車にもガソリンが入っているから火がついたら大変と、人力作戦で。もうどきどきだった。
 うちの子どもたちは、「(私たち夫婦が)津波で助かったけど火事で死んだと思った」と言っていた。
 子どもたちは東京と埼玉にいるので、息子が様子を見に行くと言ったら、娘が「お父さんとお母さんが死んだのにあんたまで死んだら困る」と言ったと、後から知らされた。
 お寺の和尚さんから「私たちが生きている」というのが伝わって、娘から「父と母をお願いします」というメールが入った。それを見て初めて涙が出た。もう震災から1週間ぐらいたってたけど。家が流れた時もお父さん助かった時も涙は出なかったけど、そのとき初めて。やっぱり家族だなと思った。



「はま家」は昨年12月、島内で場所を変え、営業を再開しました。
再び、観光客や島の住民が集まる憩の場になっています。

◆店の再開
 また店をやると思わなかった。ショックで。お父さんも疲れちゃって。
 でもだんだん落ち着いて、夏過ぎてからは、法事の食事(の仕事)もやってくれって言われた。
 土地の持ち主に「ここの土地貸すからやれやれ」って言われて再開することになった。
 9月に土地を借りたときに、家賃だからと気持ち持っていたら、「貸すからやれっていったんだから、儲かったら貰う」って言って、地代を取らない。そういう人たちだよ、大島の人たちって。本当に皆のお陰。



「食事処・はま家」の菊田公子さんは、「とにかくたくさんの人に、大島を訪れてほしい」とも話されていました。
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パーソナリティ 鈴村健一

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