2012年3月14日
3月14日「宮城県石巻市・浅田香菜さんからの手紙」
この春高校を卒業、宮城県石巻市から東京に旅立つ浅田香菜さん。
被災後、海外ホームステイに参加した昨年7月から、番組では彼女を追いかけてきました。いま浅田さんは、春を前に残された期間を地元・石巻で過ごしています。
震災から1年を迎えるにあたり、私たちに向けて「いま誰かに伝えたくて、一番大切だと気付いたこと」を、手紙に綴ってくれました。
≪浅田香菜さんからの手紙≫
私は、3.11を経験してえたものは、沢山あります。
けどそれは、1人でえたものではなく、いろいろな人に与えてもらってえたものです。
私には、震災の前の日、友達と遊ぶ予定がありました。けど、遠くに住んでいることもあり、移動が面倒 という理由で、その日の予定を延期にしました。
次の日、その友達はこの震災の一犠牲者になってしまいました。
私はその日、面倒という理由だけで予定を延期してしまったことを、今でも後悔しています。 だから私は、この1年、何をするにも「次はないかも しれない」と思いながらやってきました。そうしたら、思いのほか楽しくて、毎日がすごく充実するよう になりました。
友達は、命をかけて1秒、1分、1日の大切さを教 えてくれたんだと、今は思います。
私がこんなことを話しても、実際に体験していない人にとっては、ピンと来るような事ではないと思います。 けど、もし同じ状況になったとき、一生後悔してし まうから、それは悲しすぎることだから、私は今沢山の人に伝えたいです。
今この一瞬を大切に生きてください。お願いします。
そして私は、この1年間、世界中の方々に支援していただき、3月1日に無事に高校を卒業する事が出来ました。私は、これから夢を叶えるために地元石巻を離れます。まだまだ復興途中の石巻から出て行くことに、沢山の不安があります。
しかし、私は夢を叶えて、そして、支援をしていただいた方や、お世話になった多くの方々に、伝えきれずにいる「ありがとう」を伝えていきたいです。
宮城県石巻市 浅田香菜
浅田香菜さんは、これから東京で就職して、働きながら夢を追いかけていきます。
震災後、ボランティア活動や地元FM局のラジオパーソナリティなど、様々なことに挑戦してきた彼女。
いつも笑顔を絶やさず、「今はすごく充実しています」と話してくれました。
ただ、いよいよ旅立ちの日まであとわずかとなった、3月11日。
手紙を読み終えたあと、こみあげてきた素直な気持ちを打ち明けてくれました。
◆石巻を離れる直前の気持ち
実際泣きたいときは出てくる。ふと会いたくなる。おじいさんとか。
普通に生活ができるようになってきて、普通に生活していた時期を想い出す。震災の前。そうすると友達と一緒、おじいさんと一緒のことを思い出し、本当はここにおじいさんがいたんだと、普通に生活をしてみて想い出すことが多くなった。
(東京に行くことに関して)きのう友達と遊んだばっかりで、東京に行きたくないと思った。また一人も欠けないで集まろうねって。それを家に帰ってふと思った時に、たぶん震災がなければ「一人も欠けないで」なんて思わない、集まれる時に集まろう、だった。そうやって友達と離れるんだと思ったら行きたくなくなっちゃった。あっちに行ったら行ったで、東京に来てよかったと思うんでしょうけど。だからちょうど嫌なこともいいことも半分半分。これからもっと生きていって、いやなこと半分が、良いこと半分以上のやつで消えてなくなっちゃえばいいなと思う。
被災後、海外ホームステイに参加した昨年7月から、番組では彼女を追いかけてきました。いま浅田さんは、春を前に残された期間を地元・石巻で過ごしています。
震災から1年を迎えるにあたり、私たちに向けて「いま誰かに伝えたくて、一番大切だと気付いたこと」を、手紙に綴ってくれました。
≪浅田香菜さんからの手紙≫
私は、3.11を経験してえたものは、沢山あります。
けどそれは、1人でえたものではなく、いろいろな人に与えてもらってえたものです。
私には、震災の前の日、友達と遊ぶ予定がありました。けど、遠くに住んでいることもあり、移動が面倒 という理由で、その日の予定を延期にしました。
次の日、その友達はこの震災の一犠牲者になってしまいました。
私はその日、面倒という理由だけで予定を延期してしまったことを、今でも後悔しています。 だから私は、この1年、何をするにも「次はないかも しれない」と思いながらやってきました。そうしたら、思いのほか楽しくて、毎日がすごく充実するよう になりました。
友達は、命をかけて1秒、1分、1日の大切さを教 えてくれたんだと、今は思います。
私がこんなことを話しても、実際に体験していない人にとっては、ピンと来るような事ではないと思います。 けど、もし同じ状況になったとき、一生後悔してし まうから、それは悲しすぎることだから、私は今沢山の人に伝えたいです。
今この一瞬を大切に生きてください。お願いします。
そして私は、この1年間、世界中の方々に支援していただき、3月1日に無事に高校を卒業する事が出来ました。私は、これから夢を叶えるために地元石巻を離れます。まだまだ復興途中の石巻から出て行くことに、沢山の不安があります。
しかし、私は夢を叶えて、そして、支援をしていただいた方や、お世話になった多くの方々に、伝えきれずにいる「ありがとう」を伝えていきたいです。
宮城県石巻市 浅田香菜
浅田香菜さんは、これから東京で就職して、働きながら夢を追いかけていきます。
震災後、ボランティア活動や地元FM局のラジオパーソナリティなど、様々なことに挑戦してきた彼女。
いつも笑顔を絶やさず、「今はすごく充実しています」と話してくれました。
ただ、いよいよ旅立ちの日まであとわずかとなった、3月11日。
手紙を読み終えたあと、こみあげてきた素直な気持ちを打ち明けてくれました。
◆石巻を離れる直前の気持ち
実際泣きたいときは出てくる。ふと会いたくなる。おじいさんとか。
普通に生活ができるようになってきて、普通に生活していた時期を想い出す。震災の前。そうすると友達と一緒、おじいさんと一緒のことを思い出し、本当はここにおじいさんがいたんだと、普通に生活をしてみて想い出すことが多くなった。
(東京に行くことに関して)きのう友達と遊んだばっかりで、東京に行きたくないと思った。また一人も欠けないで集まろうねって。それを家に帰ってふと思った時に、たぶん震災がなければ「一人も欠けないで」なんて思わない、集まれる時に集まろう、だった。そうやって友達と離れるんだと思ったら行きたくなくなっちゃった。あっちに行ったら行ったで、東京に来てよかったと思うんでしょうけど。だからちょうど嫌なこともいいことも半分半分。これからもっと生きていって、いやなこと半分が、良いこと半分以上のやつで消えてなくなっちゃえばいいなと思う。