2012年3月12日
3月12日「戸倉中学校の卒業式」
3月10日、宮城県南三陸町戸倉中学校で卒業式が行われました。
街全体が津波の被害を受け、近隣の登米市の廃校を借りて授業を続けてきましたが、この日は、慣れ親しんだ戸倉中学の校舎で、卒業式が行われました。
◆卒業生代表・小野寺翔くんの答辞
私たちは今日卒業します。大好きだった故郷・戸倉で卒業式を迎えられたことに感激しています。
ほとんどの人が住む家を失い、生きていくのが精いっぱい。学校のことは考えられませんでした。しかし学用品や運動着など温かい支援や励ましをいただいたことを生涯忘れません。
たくさんの学校やボランティア団体との交流がありました。人のやさしさ、温かさを知り、いつの日か自分も困っている人のために役立とう、と強くこころに誓いました。
そして、僕たちをここまで導き、困難をともに乗り越えてくださった校長先生、諸先生方、ありがとうございました。
そして最後に、保育所からいままでずっと一緒だった3年1組19人のみんな。今日でみんなとお別れです。いつも照れくさくて言えなかったけど、みんなにも本当に感謝しています。
南三陸町の復興は若い私たちに託されています。津波の犠牲になった1万人の分まで、わたしたちはこの命を大切にします。そしてこれからの街の復興に貢献できるよう、20名全員がそれぞれの道を全力で邁進します。
◆卒業生・後藤麻里菜さん
最初は学校で式を挙げるのに反対の大人の人もいた。でも、ずっと震災までの2年間、いっぱいの思い出があった場所なので、そこで卒業式をして区切りをつけたいと思っていた。なので、今日は学校で卒業式が出来て嬉しい。
◆小野寺由美子校長・卒業式を迎えて
失ったものもたくさんあるけれど、多くの人に支えられて、子供たちは大きな財産をもらって卒業することができた。
ホームグラウンドであるこの校舎で卒業式ができて、幸せだった。
来年度4月からは志津川中学校を間借りすることが決まっているが、その先はまだまだ未定。学校統合という話も出ているが、地域になくてはならない学校なので、一日も早く授業が再開できるよう、地域の人たちと協力してやっていきたいと思っている。
まだ校舎は津波で破損したところが残っていて、敷地の一部は仮設住宅になっています。「インフラを含めた町の機能」が回復しないと、ここでの授業再開のメドが立たないという事でした。
街全体が津波の被害を受け、近隣の登米市の廃校を借りて授業を続けてきましたが、この日は、慣れ親しんだ戸倉中学の校舎で、卒業式が行われました。
◆卒業生代表・小野寺翔くんの答辞
私たちは今日卒業します。大好きだった故郷・戸倉で卒業式を迎えられたことに感激しています。
ほとんどの人が住む家を失い、生きていくのが精いっぱい。学校のことは考えられませんでした。しかし学用品や運動着など温かい支援や励ましをいただいたことを生涯忘れません。
たくさんの学校やボランティア団体との交流がありました。人のやさしさ、温かさを知り、いつの日か自分も困っている人のために役立とう、と強くこころに誓いました。
そして、僕たちをここまで導き、困難をともに乗り越えてくださった校長先生、諸先生方、ありがとうございました。
そして最後に、保育所からいままでずっと一緒だった3年1組19人のみんな。今日でみんなとお別れです。いつも照れくさくて言えなかったけど、みんなにも本当に感謝しています。
南三陸町の復興は若い私たちに託されています。津波の犠牲になった1万人の分まで、わたしたちはこの命を大切にします。そしてこれからの街の復興に貢献できるよう、20名全員がそれぞれの道を全力で邁進します。
◆卒業生・後藤麻里菜さん
最初は学校で式を挙げるのに反対の大人の人もいた。でも、ずっと震災までの2年間、いっぱいの思い出があった場所なので、そこで卒業式をして区切りをつけたいと思っていた。なので、今日は学校で卒業式が出来て嬉しい。
◆小野寺由美子校長・卒業式を迎えて
失ったものもたくさんあるけれど、多くの人に支えられて、子供たちは大きな財産をもらって卒業することができた。
ホームグラウンドであるこの校舎で卒業式ができて、幸せだった。
来年度4月からは志津川中学校を間借りすることが決まっているが、その先はまだまだ未定。学校統合という話も出ているが、地域になくてはならない学校なので、一日も早く授業が再開できるよう、地域の人たちと協力してやっていきたいと思っている。
まだ校舎は津波で破損したところが残っていて、敷地の一部は仮設住宅になっています。「インフラを含めた町の機能」が回復しないと、ここでの授業再開のメドが立たないという事でした。