NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest原沙知絵さん

原沙知絵さん

福岡県出身。高校在学中にモデルとしてデビューし、上京後に俳優の仕事をスタート。以降、「ビーチボーイズ」「踊る大捜査線シリーズ」「ちりとてちん」など、さまざまなドラマで活躍。旅番組にも多数出演し番組の企画でドイツにホームステイした経験も。

ポジティブマインドを忘れずに

2022/09/03
原沙知絵は30代で結婚、
のちに海外に拠点を移すことになる。
移住した場所はオーストリア。

「2016年から2018年まで丸々2年、夫の仕事の関係で拠点をそっちに移して、私は仕事がある時に東京に帰ってくるような、行ったり来たりの生活でした。オーストリアのザルツブルクという所に住んでいのですが山間の町なので、山の麓に出てくる水道水の味とかもちょっと違いましたね」

オーストリアでの暮らしは、
日本とは違う時の流れ方をしていたという。

「ドイツとかオーストリアって夏秋ぐらいまで日が出ている時はみんなで湖のそばでくつろいだりしていて、カップルとか友達同士で夜遅くまでおしゃべりしていたりするんです。家族とか友人同士とかとの時間の使い方っていうのがすごくいいなーって思わせてくれた2年でしたね。東京では何かを消費して満足感を得るって言う感じだったのですが、何もない中で何を楽しむかって言うの自分たちで見つけ出すって言う、国自体が人の心のゆとりとかいろんなバランスよく過ごせるようにっていう風に社会のリズムを作っているんですよね」

結婚し、海外での生活を経験し、
今、40代の日々を過ごしている。
彼女が今、興味があることとは?

「自分がこの先いなくなった後でも何かご自分の思いみたいなのが次の世代になった時でも残るように土づくりから考えて、素敵な森になるような活動とか研究をしている方がいらっしゃるんですけど、土作りとか森づくりとか環境づくりみたいなことに興味があるのでそういう活動をされていたり勉強されている方とお会いして勉強したいですね」

そんな今を生きる原沙知絵から
リスナーへのエールとは。

「私自身ができているとかできてないとか関係なくトライして楽しみたいなーって思っているんですね。第二の人生と思ってあのなんかポジティブに楽しく色々と乗り越えられたらいいなと思っているので、もし同じ世代の皆さんがいらっしゃったりとかどうしようかなーっていうふうに立ち止まっている方がいらっしゃったらなんか一緒にポジティブマインドで楽しんでいけたらいいなぁと思うのでどんどん色んなことにトライしてみませんかっていう風にちょっとエールを贈りたいです」
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乗り越えた先にあったもの

2022/08/27
原沙知絵に聞いた思い出の作品
その1つが紀行ドキュメンタリー番組「世界ウルルン滞在記」。
原沙知絵がホームステイしたのはドイツの家庭だった。

「知らない土地で初めて会う家族と過ごすんですけど、関係性が深まっていくと短い時間でも帰る時は本当になんか寂しくなったりとか、また会えるのかなーって考えたりとかすごくいい旅でしたね。到着して何が起こるんだろうか本当にドキドキしていたんですけど、その時の内容としてはダックスフンドのブリーダーさんのお宅だったんですよ。その一匹と一緒に過ごして猟犬のテストを受けさせるっていう。そのためにはその一匹のダックスフンドともう心をもう通い合わせないと絶対無理でで、猟犬として彼が活躍するためにはテスト一発で合格しないといけない、とっても緊張感のあるようだったんですね」

事前のアンケートで思い出深い作品の1つとして挙げたのは
「ドラマ警視庁捜査一課9係」
原沙知江演じる監察医・早瀬川真澄が新メンバーとして加入したのは2009年のことだった。

「渡瀬恒彦さんが主役のドラマで、渡瀬さんはいい緊張感と愛情をくださる方でした。スタッフの方、どんな役の方も皆さん名前覚えられて、ここをこうした方がいいって、いろんなところを見ているんですよね。今はなかなかできないんですけど、一致団結するために食事会を設けてくださったり、みんなで渡瀬さんの別荘に呼んでくださって、みんなで仲良くだけじゃなくて緊張感も保ちながら一つの作品をみんなで作り上げていくっていう環境づくりをすごくしてくださりました」
ったような本当に変専門用語も多くて大変です

数々の作品に出演してきた原沙知絵。
プライベートでも結婚という大きな節目を迎えた。

「結婚願望はあったんですけど、そんな時が来るなんて自分でも思いもしなかったです。34歳まで一人で自由気ままにしてきたので、生活ガラッと変わりました。18でこの世界に入ってしまったので例えばパソコンの使い方とか分からなかったりするんですよ。そういうこととかも普通はねっていうような目線で色々教えてくれるのでありがたいなと思います。そういう日常の何気ないところで感じますよね。私は公共の乗り物で移動したりとかできる方法だとは思うんですけども、オフィスワークされている方とかって本当にすごいなと思うんですよ。メールでの仕事のやりとりとか、色々と教えてもらえて本当に勉強になっています」

原沙知絵の30代とは

「はいい話ばっかりしてきているんですけど、30代ね。結構きつかったですね。環境の変化が色々ありすぎて自分自身のマインド的には結構きつかったです。大変なことがいっぱいあった年でしたかね。年齢とともに体の変化っていうところもちょっと体調を崩したりとかそういうのが一気に押し寄せてきて良いことも悪いこともよく乗り越えてきたなっていう感もあります。なんか乗り越えたからこそこれからもっと違う楽しみを過ごしたいなっていうところに切り替えられたってのもありますね」
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学びは現場で

2022/08/20
故郷の福岡でモデルデビュー。
高校卒業後に東京へ。
役者デビューは月9ドラマだった。
1997年「ビーチボーイズ」

「自分とは違う。今、振り返っても恥ずかしくてしょうがないんですけど、ワンピースなんて着たことないし、療養中の女の子の役でした。他の役者さんに相談したりとか、もうそんな段階でもなかったですね。何が何だかわからないという状況だったんですけど、本当にあの頃どうやってセリフを覚えていたのかとか、どういう気持ちで現場に行っていたとか全く記憶がないんですよね。一生懸命やるしかなかったので無我夢中でしたね。ほんと貴重な経験させてもらいました。先輩たちもやればやるほど緊張するよとか努力されているって言う話を聞くとやっぱりそうなんだって努力なしでは何も上手くもならないし伝わるように演じることはできないんだなーって、周りの先輩方に色々とこを教えて頂きながら今でも悩みながらやり続けているって言うような感じですね」

俳優としての道を歩み始めた原沙知絵。
4年後には主演ドラマにも巡り合う。
日本テレビで放送されたドラマ「シンデレラは眠らない」

「上川隆也さん根津甚八さん秋吉久美子さん安達祐実さんなど、先輩の皆さんに優しくしていただいて何とか乗り切って、ここからドラマをやるということはどういうことなのかっていうのを改めて教えていただいたっていう感じがして、心を入れ替えてやり始めたっていうきっかけになった作品でもあります」

2002年にはテレビ朝日で放送されたドラマ「逮捕しちゃうぞ」でも主演をつかむ。

「この作品はとにかくアクションの練習とかをすごいして、バタバタでやっていましたし、女性が結構多くて華やかですごい楽しい作品でしたね。コメディ作品で、すごく難しいんですけどもやりがいがあって楽しかったですね」

原沙知絵にとっての20代とは?

「学び学びの連続でしたね。前のことをこなす事で精一杯で、普通は青春という言葉があって恋愛を楽しんだりとか、夏を楽しんだりとか季節ごとにね楽しみが待っている年頃だと思うんですけど、そういうのは一切してこなくて、本当に仕事仕事で過ごしていたっていう20代でしたね」

忙しいからこそ自分を見る。
原沙知絵が自分の体を整えることに向き合ったのもこの頃であった。
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好奇心と行動力

2022/08/13
俳優・原沙知絵
その原点は幼少期から培われた行動力にあった。

「趣味と言えるものが今までなくて、ただ自立するのが結構早い子供だったのでどこでも一人で電車に乗ったり飛行機に乗ったり、九州・福岡出身なんですけど祖母の家が鹿児島にあるので小学生ぐらいの時から妹を連れて電車で遊びに行ったりとか、一人でどこかへ行くことに抵抗がなくて、それは今でも繋がってると言うか、なので海外でもどこでも別に一人でも行っちゃうんですよね」

その行動力の源となったのは「好奇心」であった

「特に子どもの頃はあまり人と交わることが得意じゃなかったんです。一人の時間が好きで科学未来館みたいなところで実験を楽しんだり、人体模型に触れたりとか不思議なこと体験できるところも大好きでよく行っていましたね」

中学校で陸上部、バレーボール部に入部。
高身長はバレーボール部でも目立っていた。
そんな俳優・原沙知絵が芸能の世界に飛び込んだのは高校時代のことだった。

「高校生の時に、そこまで仲良くなかった男の子がいて、その親戚の方がモデル事務所のマネージャーさんをやられていたんですよね。その方が声をかけてくれたことがきっかけでモデル事務所に所属することになるんです。」

ただモデル活動も好スタートを切れたわけではなかった。

「ローカルの広告など、そういうオーディションから行くんですけど、オーディションに落ちまくって20回行ったら20回落ちるみたいな始まりでした。高校生の途中ぐらいから東京のオーディションとかも受けることになって土曜日日曜日とか学校がない時にものオーディションを受けに行って仕事があると東京に出てきてお仕事させてもらうっていうような感じを十八歳ぐらいまで続けていました」

やがて、高校卒業のタイミングが近づく。
原沙知絵は進路に思い悩んだ。

「勉強して大学に行くっていうのも興味がないし、このままこういう仕事を続けていくのもちょっと違うかなと思っていたんですけど、進路を決める時に東京の芸能事務所に誘われて上京を決めました。子どもの頃からあんまり親に弱音を吐いたりとか相談事とかもするタイプじゃなかったので何か黙々と一人で乗り越えてきたって感じです」

そんな中、東京での生活を乗り越えられたのは友の存在が大きかった。

「中学校時代のバレー部の同級生が東京に出てきていたんですよね。一人はもう学生で大学目指してきてていて、一人はモデルの仕事決まっていて、その子たちがいたんで、なんとか乗り越えてこられたかなと思います。今でも繋がっていて唯一連絡を取り合う仲間です」。
駆け抜けた10代。
そして、この後、「芝居」という世界が原沙知絵を待っているのである。
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