MURAKAMI RADIO
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こんばんは、村上春樹です。村上RADIO。今夜は「ローラ・ニーロ・ソングブック」をお送りします。ローラ・ニーロをご存じでしょうか?「そんな人知らない。聞いたこともない」という若い方も多いかもしれませんね。ローラ・ニーロは、僕とだいたい同世代のアメリカ人の女性歌手で、ジョニ・ミッチェルと並んで女性シンガー・ソングライターの草分け的な存在になっています。自ら自作曲を歌ったバージョンはなぜか、商業的には目立った成功を収めませんでしたが、彼女の作詞作曲した曲は多くのミュージシャンによって取り上げられて歌われ、大ヒットしました。今日はそんな曲をまとめておかけします。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」
ローラ・ニーロが歌手としてデビューしたのは、ちょうど僕が大学に入った頃ですから、彼女もまだ20歳前後だったんですね。僕が1人で東京に出てきて、ラジオで初めて「ウェディング・ベル・ブルーズ」を聴いたときのことを、そのときの情景を、今でもよく覚えています。
「なんて新鮮で素敵な曲だろう」と感じ入りました。新しい環境の中で、なんか胸をずんと打たれたというか……。
彼女は最初のうち「天才少女」として世間の熱い注目を浴びるのですが、音楽業界の押しつける商業主義と水が合わなくて、あくまで自分の信念を貫き、次第にマスメディアから遠ざかった存在になっていきます。彼女は1997年に、49歳の若さで卵巣癌のためにこの世を去りましたが、その誠実な人間味溢れる音楽は、今に至るまで忘れられることなく、多くのファンに愛され支持されています。
Wedding Bell Blues
Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro
Columbia / Legacy
Wedding Bell Blues
The 5th Dimension
The Age Of Aquarius
Arista
今夜は「ローラ・ニーロ・ソングブック」をお送りします。 まずはその印象的な、彼女にとってのデビュー曲「ウェディング・ベル・ブルーズ」を聴いてください。ビルという男に恋をしているんだけど、彼は私となかなか結婚してくれないのよ、と嘆く女性の歌です。「ビル!」という叫びというか、かなり切実な呼びかけで曲が始まります。
このあいだ「Soul Picnic」というタイトルのローラ・ニーロの伝記を読んだのですが、それによると、この「ビル」というのは、ジャズ歌手ヘレン・メリルの当時の恋人の名前だったんですね。ローラはメリルさんの息子のアラン・メリルと幼なじみで、よくメリル家に遊びにいっていたのですが、ヘレンさんが「ビルが私となかなか結婚してくれないのよ」と嘆くのをそばで聞いていて、「それでいこう!」と思いついてこの曲を書いたということでした。
まずローラさん本人の歌で聴いてください。それから途中でフィフス・ディメンションの歌に切りかわります。フィフス・ディメンションのバージョンは、全米ヒットチャートの1位に輝きました。ローラ本人の歌のほうが、ビルさんへの訴えの必死さはリアルに伝わってくる気がするんですけどね。
And When I Die
Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro
Columbia / Legacy
And When I Die
Blood, Sweat And Tears
Blood, Sweat And Tears
Columbia
次は「And When I Die」を聴いてください。
これはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの歌で大ヒットしました。1969年に全米ヒットチャートの2位につけています。すごいですね。当時、彼女の書く曲には人々の心に広く強く率直に訴えかけるものがあったんでしょうね。
ローラはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのメンバーと仲が良くて、そのバンドのリード・シンガーをやらないかと誘われていました。アル・クーパーがクビになったので、その後釜に座らないかと。本人もけっこうその気になっていたのですが、当時彼女のマネジャーをやっていたデヴィッド・ゲフィンが「冗談じゃない。ローラはこれからソロ歌手として売り出すんだから」と強く主張し、その話は流れてしまいました。でもブラッド・スウェット・アンド・ティアーズは、代わりにデヴィッド・クレイトン・トーマスをリード歌手に迎えて大ブレークしましたから、結果的にはお互いそれでよかったみたいですけどね。 そのデヴィッド・クレイトン・トーマスが野太い声でがっつりと歌い上げます、「And When I Die」。「僕が死んじゃっても、子どもが1人生まれたら、それで世の中はこともなく進んでいくんだよ」という歌詞です。これ、どう考えても20歳前の女の子が書くような歌詞じゃないですよね。彼女のつくる歌には常に物語があります。曲はどっしりと始まりますが,途中でぱっと明るくなるところがあります。そういうちょっと意外な展開がローラの個性というか、持ち味です。
聴いてください。「And When I Die」。まずローラの歌で、それからブラッド・スウェット・アンド・ティアーズに切り替わります。
Eli’s Coming
Three Dog Night
Three Dog Night / Suitable For Framing
BGO Records
次は「Eli's Coming(イーライズ・カミン)」です。先ほどおかけした2曲は彼女が1967年にヴァーヴ・レコードから出したデビュー・アルバムに収められていたものですが、この曲はコロンビア・レコードに移籍して最初に出したアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』(日本でのタイトル:イーライと13番目の懺悔)に入っています。これはほんとに素晴らしいアルバムで、何度聴いても聴き飽きません。中でも「イーライズ・カミン」はスリー・ドッグ・ナイトがカバーしてヒットし、1969年に全米チャートの10位にランクされました。
イーライはイライジャの略で、ユダヤ系の名前です。きっとハンサムなちょい悪男子だったんでしょうね。女の子たちがすぐに騙されてしまう。3分くらいの短い曲の中にそういうストーリーが盛り込まれています。「ウェディング・ベル・ブルーズ」のビルもそうだったけど、名前の使い方になんか妙にリアリティがありますよね。
ローラ・ニーロが登場するまで、彼女が書いたような音楽を書いて歌う人はどこにもいませんでした。歌詞からメロディから和音まで、すべてが新鮮だったんです。全然ありきたりじゃなかった。この「イーライズ・カミン」にしてもとってもユニークな、なんだか不思議な曲です。でもつい口ずさんでしまいたくなる、共感性みたいなものがあります。
聴いてください。Three Dog Nightが歌います。「イーライズ・カミン」。
Stoned Soul Picnic
Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro
Columbia / Legacy
Stoned Soul Picnic
The Staple Singers
Sassafras & Moonshine (The Songs Of Laura Nyro)
Ace
ローラ・ニーロは数多くの名曲を書いていますが、僕は個人的にこの曲が一番好きみたいです。「ストーンド・ソウル・ピクニック」。わかったような、わからないようなタイトルであり、歌詞ですね。Stonedっていうと、だいたいは麻薬で深くラリるという意味なのですが、この曲の場合はハード・ドラッグの雰囲気はなくて、「みんなでご機嫌なピクニックにでかけようよ」というくらいのソフトでドリーミーな、ちょっと煙っぽいくらいの内容だと僕は解釈しています。

まずローラの歌で聴いていただいて、途中からザ・ステイプル・シンガーズのソウルフルな歌にかわります。ローラのトラックをジョン・トロペイ(John Tropea)、チャック・レイニー、ジョージ・ヤングといったNYの腕利きミュージシャンが、ザ・ステイプル・シンガーズのほうはブッカー・T・ジョーンズの率いるメンフィスのミュージシャンたちがバックを務めています。テイストはけっこう違っていて面白いですね。この曲もLP「Eli and the Thirteenth Confession(イーライと13番目の懺悔)」に収められています。
ちなみにこの曲はフィフス・ディメンションがカバーして、全米チャートの3位に入りました。僕はローラ自身が歌ったバージョンのほうが気に入っていますが、彼女の歌った自作曲のシングル盤って、100位以内に1枚もチャートインしていないんです。不思議ですね。彼女の声がいささか甲高いということも影響していたかもしれないけど、あるいは彼女の音楽を愛する人たちの多くはシングル盤じゃなく、LPを買ってじっくりと音楽を聴き込んでいたのかもしれませんね。
Lonely Women
Laura Nyro
Eli And The Thirteenth Confession
Columbia
これもLP「Eli and the Thirteenth Confession(イーライと13番目の懺悔)」に入っている曲です。「Lonely Woman」オーネット・コールマンの作った有名な同名の曲がありますが、こちらはローラの作曲した別物です。ブルージーで素敵な曲ですが、このトラックの聴きものはなんといっても、ズート・シムズが裏につけるテナーサックスの優しく静かなバッキングです。シムズはこの時期、かなり調子を落としていたみたいで、スタジオでレコーディングするのは2年ぶりだったということですが、ここでは心のこもった見事な演奏を聴かせくれます。ローラの歌にそっと寄り添うような、気配を殺した繊細な息づかいが素晴らしいです。おお、さすがズート・シムズって感じですね。
ローラはズート・シムズがどれくらい凄い人なのか知らなかったようですが、そのときのレコーディングについて後にこのように語っています。「そのテナーサックスはあまりに素晴らしかったので、私は思わずそこに座り込んでおいおい泣き出してしまった。彼は自らの抱える孤独と、そこにある音楽とをひとつに繋ぎ合わせてしまったのよ。それは文句なしに美しいものだった」
この曲はカバーではなく、最初から最後までローラ・ニーロ自身の歌でおかけします。じっくり聴いてください。「Lonely Women」です。
Stoney End
Barbra Streisand
Stoney End
Columbia
ローラ・ニーロは多くのミュージシャンに影響を与えましたが、かのボブ・ディランも彼女の音楽に注目していた同業者の1人でした。ボブ・ディランは、とあるパーティーでニーロと同席したとき、つかつかと初対面の彼女のところにやってきて、言いました。「君がやっていることが僕は好きだ。君の使う和音が好きだ。どうやったら君みたいにピアノが弾けるのか、弾き方を教えてもらえないかな」と。
それに対してローラはくすくす笑って、「あなたがギターの弾き方を私に教えてくれるのなら、ピアノの弾き方を教えて差し上げますよ」と言ったそうです。いいですねえ。ローラはもちろんボブ・ディランの大ファンでした。
ピアノを用いて弾き語りをするシンガー・ソングライターは当時、ローラの他にいなかったんです。1960年代のロック・シーンはなんといっても、ギターが中心、そして男性主導でしたからね。そういう意味では、彼女が新しいトレンドを設定したことになります。彼女のあとにビリー・ジョエルとか、エルトン・ジョンとか、そういったピアノを弾いて歌う歌手が続々と登場してきました。キャロル・キングにしても、作曲家としてはローラ・ニーロよりずっと先輩にあたりますが、ピアノを弾くシンガー・ソングライターとして活躍し始めたのは、ローラが登場したあとのことですし、明らかにローラの存在からインスピレーションを得ています。
ローラの作った「ストーニー・エンド」をバーブラ・ストライサンドが歌います。このバージョンは大ヒットして、全米チャートの6位にまで上がりました。バーブラは当時、いっときに比べて人気が低落気味だったんですが、ローラの曲のいくつかを取り上げて歌うことで、再び人気を盛り返しました。ローラの音楽との相性がよかったんでしょうね。いささかダイナミックに盛り上がり過ぎじゃないかと、僕的には思わないでもないですが。
ちゃきちゃきの都会育ちのローラがこんなローカルな労働者の歌詞を書くんですね。「Stoney End」というのは険しく厳しい道のことみたいです。
Time And Love
Phoebe Snow
time and love - the music of laura nyro
Astor Place
フィービ・スノウが「タイム・アンド・ラブ」を歌います。ニーロの3枚目のアルバム『ニューヨーク・テンダベリー』に収められている曲です。フィービもローラ・ニーロの熱烈なファンでした。
ローラ・ニーロはニューヨークのブロンクスで、イタリア系の父親とユダヤ系の母親の間に生まれました。いかにもブロンクスっぽい組み合わせですね。お父さんはジャズのトランペッターだったのですが、演奏の合間にピアノの調律師の仕事もしていました。で、そのお父さんがある日、調律に呼ばれて行ったところが、たまたまアーティー・モーグルというかなり名の知れた音楽マネジャーの事務所でして、お父さんは「実は18になるうちの娘が、作曲をして歌うのですが、それが最高に素晴らしいんです。一度聴いてもらえませんか。損はさせませんから」と熱心に売り込みました。モーグルさんは「おいおい、そんなことどうでもいいから、早く調律を済ませてくれよ。忙しいんだから」と言いますが、ローラのお父さんは簡単には引き下がりません。それでしょうがなくて渋々、「わかった、じゃあ明日、娘さんをここによこしなさい」と言ったら、娘が実際に翌日やってきて、3曲ほどそこで自作曲を歌ったのですが、それを聴いてモーグルさんはひっくり返りました。「素晴らしい。この子は女性版ボブ・ディランになれる」。彼はそう確信して、すぐさまマネージメント契約を結びました。お父さん、偉かったですね。
Jimmy Mack
Laura Nyro And LaBelle
Gonna Take A Miracle
Columbia
ローラ・ニーロは10代の頃、黒人ソウル・ミュージックを聴きまくっていまして、ブロンクスの近所の仲間たちとドゥワップ・グループを組んで、地下鉄の駅なんかで歌っていました。地下鉄の駅は声が反響するから、ドゥワップ・グループにとっては、うってつけの練習場なんです。そしてプロの歌手になってからも、機会さえあれば古いソウル・ミュージックを歌い続けていました。彼女は自作ではない曲はほとんど歌わなかったのですが、たまに歌うとその大半はモータウンかアトランティックのオールディーズ・ソングでした。そういう曲ばかり集めた『Gonna Take A Miracle』というアルバムも制作しています。ちなみに彼女が出したシングル盤で唯一ヒットチャート入りしたのは、キャロル・キングの名曲「Up On The Roof」のカバーでした。
そんなオールディーズの中から、「ジミー・マック」を聴いてください。1967年にモータウン・レコードのマーサ&ザ・ヴァンデラスがヒットさせた曲です。ローラはこのアップテンポのソウル・ポップ・ソングを、とても愉しそうに快調に歌い上げます。これは彼女のつくった歌じゃないけど、やはり男の子の名前が絡んでいますね。
LP『Gonna Take A Miracle』に収められた1曲です。なんか彼女自身がつくった曲みたいに聴こえますね。
Buy And Sell
Suzanne Vega
time and love - the music of laura nyro
Astor Place
ローラ・ニーロはデビューした頃から、女性に人気のある歌手でした。とりわけ若い女性、女子大生に熱烈なファンが多かったんです。若い女性が感情移入しやすい音楽だったし、彼女のまとっていた「都会の妖精」風の独特の雰囲気も、その強烈な個性や自立心も、彼女たちの憧れの対象になったんでしょうね。ちょうどフェミニズムやウーマンリブの運動が台頭してきた時代でした。あと、ゲイの男性ファンもたくさんいたみたいです。どうしてかはわかりませんが。
歌手のスザンヌ・ヴェガはローラ・ニーロについてこのように語っています。
「彼女は私たちの生きている世界についての曲を書いた。でもそれを情熱を込めて生き生きとしたものに変えたので、何でもないありきたりの事物がーー空模様とか川とか街路や子どもたち、そんなものがーースピリチュアルなエネルギーを得て眩しく輝くことになった。当時の私たちは冴えないそのへんのガキだったんだけど、でも彼女の歌が私たちをビューティフルな存在に成り変わらせてくれた」

ニーロさんはそのように女性には人気があったけど、実生活ではあまり男性運に恵まれなかったみたいです。見栄えの良い男にとことん夢中になって、やがてうまくいかなくなってこじれる……というパターンが多かったみたいですね。それなりに多くの男性と付き合って、一度は結婚もしたんだけど、どのロマンスも長くは続かなかった。1980年代に入ってからはフェミニズムに傾倒し、ヴィーガンになり、動物愛護にのめり込み、インド哲学に傾倒し、シングルマザーになり、ついにはレズビアン、あるいはバイであることを半ば公にして、女性画家と行動を共にするようになります。こちらのほうはうまくいって、亡くなるまで彼女とは親密な関係が続いたみたいです。よかったですね。
そのようにライフスタイルが変化して行くにつれて、彼女の作る音楽もやはり変化を遂げていきます。彼女はこう語っています。
「若い頃、私の書く曲は誰かが私のハートを引き裂くか、あるいは私が誰かのハートを引き裂くという内容のものだった。大抵のソングライターはそういう曲を書くわよね。まるでそれが唯一のハートの使い途(みち)であるかのように。でも私はやがて違う目でものを見るようになった。愛も変化したし、それにつれて音楽も変化した」

スザンヌ・ヴェガが歌います。「Buy And Sell」。ローラのデビュー・アルバムに入っていた曲です。「Buy And Sell」という名前のストリートの歌です。そこではいろんなものが売り買いされます。コカインやらビール、愛やら、夢やら。
Stoned Soul Picnic
Roy Ayers
Stoned Soul Picnic
Atlantic
今日のクロージング音楽はジャズ・ヴァイブラフォン奏者、ロイ・エアーズのグループが演奏する「ストーンド・ソウル・ピクニック」です。
ローラ・ニーロの音楽特集、いかがでしたか? 少しなりとも気に入っていただけたとしたら、ローラ・ニーロ・ファンの僕としてはとても嬉しいです。今となっては、なかなか耳にする機会のない種類の音楽みたいですからね。でもローラ・ニーロの残した曲自体はあまり聴かれなくなったかもしれないけど、彼女の影響を受けたミュージシャンは数多くいて、彼女の自由な精神は、そのDNAは、今でも音楽の世界に脈々と生き続けています。たとえばノラ・ジョーンズなんかも、「現代のローラ・ニーロ」と言えるかもしれませんよね。芸術というのは本来そういう具合に、風のように目に見えず受け継がれていくものなのかもしれません。
さて、今日の言葉は「葉隠(はがくれ)」から選びました。「葉隠」、江戸中期に書かれた武士たるものの心得ですね。著者は山本常朝(やまもと・じょうちょう)という人です。これは正しい侍であるためのマニュアル本って言えばいいのかな。そこにこんな言葉があります。
一生忍(しの)んで思死に(おもいじに)する事こそ恋の本意なれ

誰かに恋をしたら、相手のことをただ思い続け、そのまま思い焦がれて死んでいくことこそ、正しい恋のあり方である――ということですね。どんなに好きでも気持ちを打ち明けたりしちゃいけないんだ。うーん、侍であるっていうのもなかなか大変なことなんですね。

あなたはいかがですか? 侍になれそうですか?

一生忍んで思死にする事こそ恋の本意なれ


それではまた来月。

スタッフ後記

スタッフ後記

ローラ・ニーロは番組スタッフでさえほとんど耳なじみのないアーティストでした。最初「ローラ・ニーロを特集したいんだよね」と言われたとき、「え、誰?」と聞き返したくらいです。ということで、今回はソングブック特集としては初めて、ローラ・ニーロさんご本人の歌唱も交えての選曲となりました。カバーだけでなく、ローラさん本人の歌声が入ることで、より彼女の人となりが胸に迫ってきました。切ないのに力強い歌声、こだわりの強さ、圧倒的な歌詞のセンス。そのすべてが「早すぎた天才」と呼ぶにふさわしいアーティストでした。ローラさんも天国で「忘れずにいてくれてありがとう!」と微笑んでいるように思います。(「村上RADIO」スタジオ・チーム)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『街とその不確かな壁』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。