MURAKAMI RADIO
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こんばんは。村上春樹です。村上RADIO、今夜は「ジャズで聴くクラシック音楽」の第2回です。前回はロシアの音楽家に絞って選曲しましたが、今日はショパンとバッハを中心にプログラムを組みました。ショパンとバッハ、かなり雰囲気は違いますが、併せて聴くとなんだか70%カカオ・チョコレートと塩せんべいをかわりばんこに食べているような、独特の味わいが生まれます。

また新しい戦争始まりました。世界はなんだか年々、次第に薄暗くなっていくような気さえしますね。でもこの日曜日の宵の1時間ほどは、どうか難しいことは忘れて、チョコレートと塩せんべいの素敵な味わいを楽しんでください。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」

熊本県在住、尾長猫まわるさんからメールをいただきました。

「私の双子の兄が熱心なリスナーで、たまに近所の堤防で、兄弟仲良く釣りをするのですが、その時には必ず『村上RADIO』をまあまあな音量で聴かせていただいています。ただ、『村上RADIO』を視聴中は魚が釣れないのです。なので、村上さんにお願いがあります。『お魚さんが寄ってくる音楽』特集をお願いします」


双子の兄弟で釣りをなさるんですね。情景的にほのぼのと素敵です。僕はわりに選曲に凝るほうですが、魚が寄ってくる音楽となると、そこまではちょっと手が回りかねます。以前、山下達郎さんがつくった「踊ろよ、フィッシュ」という曲をかけたことがありますが、それで魚が集まったという話は聞いてませんしねえ。
I'm Always Chasing Rainbows
Harry Nilsson
A Touch More Schmilsson In The Night
RCA
まずはショパンの「幻想即興曲」嬰ハ短調作品66から攻めていきます。これに歌詞をつけて、ハリー・ニルソンさんが歌います。題名は「I'm Always Chasing Rainbows(僕はいつだって虹を追いかけているんだ)」。これは1941年にジュディ・ガーランドが歌って大ヒットしました。僕はこのあいだ、ピアニスト、イリーナ・メジューエワさんのコンサートでこのショパンの原曲を聴きました。メジューエワさんの演奏、いつもながら素敵でした。
Prelude In E Minor
Gerry Mulligan
Night Lights
Philips
この前、「ラジオネームがお年玉」の回に読み残したメールをひとつ読みますね。

おさるのツヨシさん(33、男性、埼玉県)
「村上さんこんばんは、ラジオも小説もいつも楽しみにしております。私は最近、虚ろな人生の足しになるかと考え、チェロを習い始めました。つきましては、始めるにあたり購入した中古のチェロに小粋な名前をつけてやってもらえないでしょうか。彼(彼女?)はYAMAHAの電子チェロで、ヘッドホンやアンプに接続できちゃいます。よろしくお願いいたします」


チェロ、いいですね。がんばってものにしちゃってください。「虚ろな人生」の足しになるといいんですけどね。僕は我慢が足りない性格なのか、これまで手にした楽器は何ひとつものになりませんでした。おかげで人生はそこそこ虚ろです。
あなたのチェロには「松林どんぐり」というラジオネームを差し上げます。どうして松林にどんぐりが落ちるのか、そのへんは不明ですが。
     
ショパンを続けていきます。「前奏曲第4番」ホ短調、有名なメロディーです。これをバリトンサックスの王者、ジェリー・マリガンが演奏します。タイトルはそのまんまというか「Prelude In E Minor」。バリトンサックスの音色がしっくり心に浸みます。アルトサックスやテナーサックスでは、たぶんこういう味わいは生み出せなかったんじゃないかな。



僕はだいたいいつも朝早く、まだ暗いうちに目覚めて、そのまま仕事机に向かうのですが、その前にコーヒーを温めて、レコードをターンテーブルに載せます。で、その時刻にはいつもクラシック音楽を聴きます。それもCDじゃなくて、決まってアナログLPです。どうしてCDじゃなくて、アナログなのか? 
経験的に言って、そのほうが、仕事がいくぶん捗るからです。どうしてそうなるのか? どうしてでしょうねえ。
24の前奏曲 作品28 第4番 ホ短調
Maria João Pires
Chopin・Piano Concerto No. 2 Klavierkonzert - Concerto Pour Piano 24 Preludes
Deutsche Grammophon"
How Insensitive
Antônio Carlos Jobim
Super Juke Box 3000 Bossa Nova
ユニバーサルミュージック
ショパンの「前奏曲第四番」ホ短調、もうひとついきます。アントニオ・カルロス・ジョビンが演奏する「How Insensitive」(なんて僕は鈍感だったんだろう?)。この曲はショパンのメロディーをそのまま流用しているのではないし、作曲者もアントニオ・カルロス・ジョビンとしっかりクレジットされていますが、でもイントロといい、全体の曲調といい、明らかにショパンの「前奏曲第4番」から着想を得ていますよね。まずマリア・ジョアン・ピリスさんが原曲を演奏し、それからジョビンの演奏に移ります。どこが似ているか、どこが違うか、じっくり聴き比べてみてください。
   


僕が朝に仕事をしながら書斎で聴く音楽は、だいたい室内楽かバロック音楽が多いですね。大オーケストラみたいなのはあまり聴きません。朝は小編成の静かな音楽のほうが仕事がしやすいですから。いちばん頻繁に聴く音楽というと、やはりバッハの平均律あたりかなあ。聴き飽きしませんしね。モーツアルトのバイオリン・ソナタなんかもよく聴きます。
どうしてCDよりアナログLPを聴いているほうが仕事がより捗るのか、ということでしたね。それはたぶん音色(おんしょく)のせいだと思います。出てくる音の肌あたりがアナログのほうが微妙に優しいっていうのかな。そういう感触があるんです。あくまで個人の感想ですが。
Waltz
Derek Smith
To Love Again
Venus Records
有名なショパンのワルツ「告別」作品69-1を聴いてください。ピアノはデレク・スミス。タイトルはとてもシンプルに「Walt(ワルツ)」となっています。
   


ひとくちにアナログLPと言っても、いつの時代にどこでおこなわれたプレスかによって、音がかなり違ってきます。僕はシャルル・ミュンシュがボストン交響楽団を指揮したイベールの「寄港地(Port of Call)」という曲のLPとCDを1枚ずつ持っていたのですが、どちらも出てくる音にもうひとつ感心できませんでした。LPはリマスターの再発盤だったんだけど、なんか音が薄いんですよね。で、この間アメリカの中古レコード店で、このレコードのオリジナル盤を見つけて7ドルで買ってきたのですが、これはもう段違いに音が生々しくてぞくぞくしました。そして、ああ、これ、こんなに魅力的な曲だったんだ、と音楽の良さまで再発見しました。そういう例は他にもたくさんあります。アナログLP、なかなか奥が深いです。
プレリュードとフーガ イ短調BWV.895
Glenn Gould, Bach
Preludes, Fughettas And Fugues
CBS/SONY
Fugue In A Minor
The Modern Jazz Quartet with Laurindo Almeida
Collaboration
Atlantic
ここからバッハに移ります。モダンジャズ・カルテット、MJQが「フーガ イ短調」BWV895を取り上げます。このトラックは、ギターのローリンド・アルメイダをゲストとして加えたクインテット編成で、『コラボレーション』というアルバムに収められています。MJQ、もともと古典音楽から多くのアイデアを得て、それをジャズに積極的に取り込んできたグループだけあって、半端じゃない骨のある演奏になっています。まずグレン・グールドが原曲を演奏し、途中からMJQの演奏に移ります。聴いてください。バッハの「フーガ イ短調」。
 


リスナーからいただいたメールをもうひとつ読みますね。

れもねいど(41、男性、東京都)
「村上さんに質問です。人生100年時代と言われるようになりましたが、ただ生きるだけでは、ちょっと長いよなぁ、と思ってしまいます。よりよく生きる為に大切なことって何でしょうか?」


はい、僕はもうけっこう長く生きていますが、人生100年といっても、実際に生きてみるとそんな長くはないんじゃないかな。意外に短いかもしれない。「え、もうゲームオーバー?」みたいな感じはあります。だから時間を無駄にしないで、しっかり人生を歩んでいくことが大事ですね。なにより大事なのは、その途中で素敵な思い出をできるだけたくさんこしらえて、記憶の袋にため込んでおくことです。これはすごく役に立ちます。暗くて寒い夜にも、心と身体を内側からほかほかと温めてくれます。がんばって素敵な思い出をせっせと作りましょう。
NO IMAGE
Cicero's Air
Eugen Cicero
Live At The Berlin Philharmonie
Intercord
次はあまりにも有名なバッハの「G線上のアリア」です。この曲、おととし小澤征爾さんが亡くなったとき、サイトウ・キネン・オーケストラがステージで演奏して、演奏のあとにしばしの沈黙があり、その静けさがじんと胸に浸みたことを覚えています。「管弦楽組曲第3番」の中の曲です。ルーマニア生まれのオイゲン・キケロが、ピアノ・トリオで演奏します。ルーマニアという国は多くの名ピアニストを産み出しています。リパッティとかハスキルとかルプーとか。
僕はこのバッハの「管弦楽組曲」が好きで、10代の頃からずいぶんよく聴いてきました。僕が最初に買ったのはジャン=フランソワ・パイヤール指揮のパイヤール室内管弦楽団のエラート盤で、2番と3番が裏表にカップリングされていました。いかにもフランス風の優しくて、ふくよかな演奏でした。ランパルがフルートを吹いていてね。だからそのパイヤールの演奏が今でも、僕のこの曲のメートル原器みたいになっています。この曲のことを考えると、そのサウンドが頭にすっと浮かんできます。ドイツ風のきりっとしたバッハとは肌触りがかなり違います。最初に巡りあう音楽ってけっこう大事なんですね。
これはアナログLPなのでちょっとプチプチが入りましたね。すみません。
Bud On Bach
Bud Powell
The Amazing Bud Powell, Vol. 3 - Bud!
Blue Note
バッハはバッハでも、息子のカール・エマニュエル・バッハが作曲した「ソルフェージェット」ハ短調を聴いてください。演奏するのはなんと、バド・パウエル。本人の言によれば「子どもの頃、練習でよく弾かされた曲なんだよ」ということです。昔を思い出して、ぱらぱらと弾いちゃったんですね。しかしいったんバド・パウエルの手にかかると、練習曲が実にがらりと鬼気迫るものに変身します。
これも古いアナログLPで僕が店をやっていたころにかけてたレコードですね。だからちょっと傷が入ってました、すみません。
Etude Op. 2 No. 1
Eldar Djangirov
Three Stories
Masterworks Jazz
またメールを読みます。

Denver Boston(62、女性、沖縄県)
「いつもradikoで東京FM、FM沖縄、FM福岡と日曜日に3回追いかけてきいています。素敵な番組をいつもありがとうございます。わたしの職業は病理医です。病理医は患者さんの名前は覚えてなくても、顕微鏡でスライドを見たら、あーこの人と思いだすことができます。作家/DJの村上さんなら、お便りの文章だけで、あーこの人と思い出せたりするのでしょうか?」


3回追いかけてこの番組を聴いてくださっているんですね。素晴らしいです。ありがとうございます。僕も心して3回分みっちりがんばりますね。はあ、病理医の人は顔とか名前じゃなく、スライドの中身で患者さんを覚えちゃうんだ。プロの世界ですね。

そういえば、僕は朝早く起きて、近所をジョギングとかウォーキングとかをしているのですが、犬を散歩させている常連ウォーカーとよくすれ違います。そういうとき、僕は相手を個人としてより、「ああ、この柴犬のお母さん」とか「この黒犬のお父さん」とか、犬の連れとして特定しちゃいます。話のレベルは違いますけど、主体によってではなく属性で人をアイデンティファイするという意味では、それにちょっと似ているかもね。

スクリアビンの「練習曲」作品2-1と言われてもピンとくる方はおそらく少ないだろうと思います。でもこれ、なかなか素敵な曲です。ウラジミール・ホロヴィッツが鮮やかな演奏をレコードに残しています。ホロヴィッツとスクリアビンは親友だったんですね。

ジャズ・ピアニストのエルダー・ジャンギロフがこの曲に挑みます。キルギスタン生まれのジャンギロフさん、なにしろ目が覚めるようなテクニックの持ち主です。 聴いてください。スクリアビンの「練習曲」作品2-1。目が覚めます。

僕はクラシックのレコードはだいたいのところ、作曲家の生まれた年の順番に棚に並べています。つまりバッハはヴィヴァルディのあとで、ハイドンはバッハのあとで、モーツアルトはハイドンのあとで……という具合です。でもどっちが前で、どっちがあとだったか、わからなくなることがよくあります。たとえばプロコフィエフとストラヴィンスキー、どっちが年上だったかなんて急には思い出せないですよね(正解はストラヴィンスキーですが)。だから「作曲家の生年(生まれた年)」というリストを個人的にこしらえておいて、ときどきそれをチェックながら、レコード棚を整理しています。レコード・コレクションも数が増えるとなかなか大変なんです。はい。
塔~「版画」より
LEO
In A Landscape
日本コロムビア
次はドビュッシーを聴いてください。「版画」というピアノのための組曲の中から「塔(パゴダ)」です。演奏するのはLEOさん、本名は今野玲央さん。楽器は和楽器の琴です。この人は16歳にして全国邦楽コンクール最優秀賞をとったという、まさに神童でして、現代箏曲(コンテンポラリーな琴の音楽)を極めておられます。しかし琴でドビュッシーを弾くというのはどんなものかなと思っていたんだけど、実際に聴いてみるとこれが見事にはまっているんです。聴いてください。ドビュッシーの「版画」より「パゴダ」。
僕は高校生のときに、スヴィアトスラフ・リヒテルの演奏で初めてこのドビュッシーの曲を聴きまして、その鋭いタッチに心惹かれたことを覚えています。「版画」はいくつかのエキソティックな光景を、まるで印象派の絵のようにピアノの音でカラフルに描写していく音楽なんだけど、「パゴダ」はその名前通り、東洋的な塔(パゴダ)を描く音楽になっています。だから琴の音色がピタリと音楽に合ってしまうんですね。
Pavane
Louis Van Dyke
Pavane
CBS
今日のクロージング音楽はオランダのピアニスト、ルイス・ヴァン・ダイクが演奏するフォーレの「パヴァーヌ」です。ちなみにフォーレはサン=サーンスよりも年下で、ドビュッシーよりも年上です。

さて今月の言葉は、ジョージ・ハーバートさんの有名な言葉です。ハーバートさんは17世紀初め頃の英国の詩人です。彼はこう言っています。

「優雅な生活が最良の復讐である」
Living Well Is the Best Revenge.

もしあなたが誰かに何かひどいことをされても、ひどいことを言われても、復讐しようとか、言い返そうとか、そんなことを考えてはいけない。我関せず、どこ吹く風と、なるたけ豊かで満ち足りた、心地よい生活を送るべく努めなさい。そして相手に「私を傷つけることなんて、あなたにはできないのだよ」と余裕を見せつけてやるのです。それがいちばんの復讐になるのだーーということですね。

「優雅な生活が最良の復讐である」

個人的な話をしますと、かなり前のことですが、ある英国の作家が「ニューヨーク・タイムズ」の書評欄で僕の本をけちょんけちょんにけなしました。でも僕はそのことを知らなかったんです。批評ってまず読まないから。知らないものだから、後日その作家の本をどこかで「これはとても面白い本だ」と褒めたんです。そうしたら某作家に感心されました。「ハルキは偉い、あれほど悪し様(あしざま)に言われて、なおかつその相手の本を褒めるんだから」とね。そう言われても、僕は自分がけなされたことを知らなかっただけなんですけどね。でも結果的にはそれで良かったんでしょうね。おかげで度量が広いと、僕の評価が少しでも上がったわけですから。
みなさんも誰かに何か嫌な目にあわされても、復讐してやろうとか、そういうことは考えず、ゆったり構えて、心愉(たの)しく優雅に暮らしておられたほうが何かとよろしいのではないでしょうか。

それではまた来月。

スタッフ後記

スタッフ後記

クラシック音楽が番組のテーマになるのは、2020年9月の「5分で聴けちゃうクラシック音楽」、2021年6月の「クラシック音楽が元ネタ(ロシア人作曲家編)」、そして2024年4月の「小澤征爾さんの遺した音楽を追って」以来、4回目です。「クラシック音楽をもっとかけてほしい!」というお声も届いているのですが、「クラシックはなんといっても曲が長いからなぁ。なかなか難しいよねぇ」と村上さん。今回ジャズアレンジというかたちでようやく実現しました。アレンジが異なると全く違う曲のように聴こえるから面白いですね。村上RADIOでは新年度もリスナーのあなたからの感想や質問を楽しみにお待ちしています!(村上RADIOスタジオ・チーム)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『街とその不確かな壁』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。